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2013

[EU4]モスクワ/ロシアAAR (1)

CATEGORYゲーム
最近blog更新が止まっているのでゲームの話題でも、ということでちょっとEU4のAARでも書いてみる。

一応、EU4って何?って人のためにまずごく簡単な説明を。
Europa Universalis 4」はスウェーデンのゲーム会社、Paradox Interactiveが出している歴史シュミレーションゲームで、15世紀から19世紀までの全世界を舞台にした・・・凄く簡単に言うと西洋版信長の野望みたいなゲームです。
実際のゲームの説明とかは、この辺を見てもらった方が確実かと。なお、以降のAARは読み手がゲーム(少なくともEUシリーズ)を知ってることを前提に書くので、細かい説明とかは要れません。あしからず。

プレイ条件

  • 国: モスクワ大公国
  • 開始年: 1441年 (GC)
  • 難易度: ノーマル
  • バージョン: 1.2.1※随時パッチがあたる可能性あり~1.4.0(主に1.2.2)
  • 目標: 歴史的な領域 & 不凍港の確保
  • アイアンマンモード
はい、上に書いたとおり、何を思ったかアイアンマンモード(Steam実績解除あり、セーブ・ロード不可など制限が掛かったモード)です。
セーブデータのバックアップが取れないため、不慮の事故でセーブデータが飛ぶとそこでAAR終了という可能性がありますが、飛ばないようどうか祈ってください(-∧-)2014/1/17 完走しました。

1444年~1485年 ルーシ諸侯の統一

1444年のヨーロッパ
1444年のヨーロッパ。西欧ではフランスとイングランドが百年戦争の只中にあり、イベリア半島ではレコンキスタが続いている。一方、東欧では東ローマ帝国が今まさに終焉を迎えようとしており、中世の終わりが近づいていた。そしてロシアの大地は、未だタタールのくびきに囚われつつも、モスクワとノヴゴロドを中心とするルーシ諸侯が徐々に力を蓄えつつあった。

ヴァシーリー2世 (3-1-2) が統治する我がモスクワ大公国は、プスコフヤロスラヴリペルミといった諸侯を傘下に従えるルーシ随一の大国であるが、周辺にはノヴゴロドを筆頭に、独立を保つルーシ諸侯も残っており、さらに西には東欧有数の大国リトアニアが、そして南のステップには未だ大勢力を保つモンゴル諸侯が存在していた。

大公国の目標は、タタールのくびきからの全ルーシの解放であるが、そのためにはまず分裂状態にあるルーシ諸侯の統一が必要である。
よって、周辺の弱小ルーシ諸侯を統合した後、宿敵ノヴゴロドを屈服させることを当面の方針とする。
(弱いところから潰していって地盤 & 必要な土地を確保してロシア化ってことで。)

1446年、キプチャク・ハンに侵攻されるリャザンとモスクワのトヴェリ侵攻
最初のターゲットとして、モスクワの南に位置するリャザンに狙いを定める。1445年、リャザン侵攻の大義名分を確保するための工作活動がまもなく終了する・・・と思われた頃にキプチャク・ハン国の遠征軍がリャザンに入ったとの報が届く。現時点でモンゴル軍と事を構えるのは得策ではないと判断した公は、同胞のリャザンに救援を送ることもなく、冷酷に北のトヴェリへと工作の対象を移した。1446年、蹂躙されるリャザンを尻目に2万のモスクワ軍は突如トヴェリに侵攻、速やかに城砦を落とし、大公国の支配下へと組み入れた。

第1次ノヴゴロド遠征
1448年、キプチャク・ハン国がグルジアと、スウェーデンがリヴォニア騎士団と戦火を交えるに至り、これを介入を受けない好機と見た大公国は宿敵ノヴゴロドとの戦いを開始する。ノヴゴロドは一時リトアニアと同盟を結んでいたもののこれを解消、同盟関係は対北欧諸国でのスコットランドとのもののみとなっており、周辺国の支援を期待できない状態となっていた。モスクワ軍2万はラドガにてノヴゴロド軍1万6千を捕捉、この戦いでノヴゴロドの主力を壊滅させることに成功した。

しかし、快勝に酔ったモスクワ軍はその後の諸都市の制圧に失敗。傘下の諸侯も加わった大部隊は、散発的に続くノヴゴロド残党の襲撃に加え、長期に渡る遠征での食料不足と極寒の冬の攻城戦により大損害を受け、敗者であるノヴゴロドと同じかそれ以上の壊滅的打撃をこうむることとなった。
(ぶっちゃけ、パッチ1.2初プレイで同盟軍スパム(1.2になって同盟軍が包囲中の味方部隊のとこに集まってきて兵士数多すぎで激しい消耗を巻き起こすようになった現象)対策してなかったので消耗でマンパワーが尽きた('A`))

第1次ノヴゴロド遠征和平
1452年、周辺国の介入を警戒する大公国は、ノヴゴロド市周辺の内陸諸都市が恭順したのを受けここで停戦を決断。実に開戦から4年後のことであった。開戦前に2万の軍勢と3万の予備人員を誇ったモスクワ軍は僅か5千にまで減少しており、かつルーシ統一に向けた動きは周辺諸国にとっても警戒を呼ぶ事態となっていた。公国は数年間を軍の建て直しと外交関係の改善、ならびに傘下の諸侯の統合(外交併合)に費やすこととなる。

1452、モンゴル諸侯の争い
同じ時期、南のステップではモンゴル諸侯同士の大規模な争い発生しており、キプチャク・ハン国はカザン・ハン国クリミア・ハン国の攻撃により衰退、サライの権威は地に落ちていた。そうした争いの中、トゥーラにはリャザン公国の残党による亡命政権が誕生していた。大公国は当初介入する余裕もなく事態が飛び火しないようただ静観を務めていたが、1459年に入りリャザン公国の故地の管理権を主張、これを併呑した。

また、軍の速やかな整備のため武器庫 (Armory) が各地に建設され、軍の方針として攻勢を第一とする政策が採られるようになったのもこの時期のことである。
(1個目のIdeaは迷ったけど攻勢主義Get。ロシアなら戦いは数だよ兄貴。そして兵士が回復しないので何とかマンパワー増やそうと足掻く(--;)

1461年には、大公国の傘下にありつつも独立を保っていたヤロスラヴリが、公国の一部へと組み込まれた。

1464年、リャザン攻略戦中の悲劇
1463年、十年を経て軍の建て直しが進んだ大公国は、第2次ノヴゴロド遠征の準備を開始。そこにカザン・ハン国がキプチャク・ハン国を攻撃との報が飛び込んでくる。大公国はキプチャク・ハン国の支配下に残るリャザンを獲得すべく、この機に乗じてキプチャク・ハン国への攻撃を開始する。

ステップでの会戦における予想以上の損害に、モンゴルの脅威がまだまだ健在をすることを感じつつも、リャザン周辺地域の制圧に成功する。そんな中、戦火とは無縁のモスクワ近郊で、大公位の継承者であるイヴァン3世がハンティング中の事故で死亡するという訃報が公国を駆け巡る。戦争自体は、モスクワ軍がサライに迫ったことと、要求をルーシの地であるリャザンのみに絞ったことから、その後まもなく勝利に終わったものの、唯一の後継者の死は、公国に大きな悲しみと不安をもたらしたのであった。
(イヴァン大帝、即位すらせずに散る(涙 戦場に立たせたわけでもないのに、この糞忙しいときに狩の上、事故とか何やっとんじゃぁ!
なお領土については、ノヴゴロドミッションのCliamが切れそうだったので、さっさと終わらせてそっち行きたかったので。)

戦後すぐに、軍制改革の必要性から歩兵がBardiche Infantry(バルディッシュ歩兵?)から、農奴が中心のEastern Militia(東方民兵)へと更新される。
(ようやく軍事レベル5到達・・・到達してもまだ民兵、、、ってかバルディッシュから民兵って退化してね?)

1468年、第2次ノヴゴロド遠征和平と大公の死
そしてキプチャク・ハン戦から休む間もなく、1466年モスクワ軍は第2次ノヴゴロド遠征を開始した。ノヴゴロドはその後エストニアを獲得していたもののもはや大公国の敵ではなく、2年後にはインゲルマンランドからアルハンゲリスクまでの広大な地域が公国の支配下へと入り、ノヴゴロドは自治都市と僅かな沿岸部の拠点のみから構成される小国へと転落した。そして大公国は念願であったバルト海・白海への出口を獲得した。

しかしヴァシーリー2世がこの勝利を祝うことはなかった。ルーシ統一に尽力した偉大な大公は、その結末を見届けることなく、1468年にこの世を去った。後に残されたのは、遠征中に生まれた僅か2歳の妾腹の子とそれを支える摂政に貴族たち、公位を狙う僭称者、それに周辺国による対モスクワ同盟であった。大公国は、幼い公子が成人するまで、また周辺国の警戒が緩むそのときまで、再び長い休息の時代に入ることとなる。

なお、この遠征のさなか、ウラル地方に位置するペルミが大公国へと統合されている。平和裏に統合が行われたにも拘らず、統合後は急速な同化政策がとられ、僅か数年でウラル人はルーシ文化へと飲み込まれていった。この政策はノヴゴロドの征服地でも繰り返され、バルト海沿岸のフィン人も長くは抵抗したものの、次第にルーシへと同化していった。

1470年代は、大公国にとっては戦火のない、平和の時代となった。この時代、国内各地に市場が立ち、交易が活発化、教会も多数建築された。開発が進んだ結果、国家の歳入は大きく改善された(単純に領土が増えたのもあるが、陸軍維持費最低で毎月+15ぐらい)。

1482年、第3次ノヴゴロド遠征
1481年、成長した公子はVasiliy III Rurikovich (1-5-4) としてモスクワ大公に即位した。新大公は直ちに父がやり残した仕事、すなわちルーシ統一へと着手した。これにより行われたのが第3次ノヴゴロド遠征である。

第3次遠征では、モスクワ軍はもはや抵抗らしい抵抗を受けることもなく進み、ノヴゴロドは都市の自治を諦め、大公国の宗主権の下、コラ半島やエストニアの商館で細々と独自の活動を続けることのみが許された。
(ロシア化に必要な首都だけとって属国化。一発併合しようかと思ったけど、好戦性がやばくて断念。よく考えると外交ペナルティ酷いから属国にしちゃうと当分併合できないね・・・僻地だしまあいっか。)

1483年のヨーロッパ
1483年のヨーロッパ。百年戦争はフランスの勝利で終わり、英仏はそれぞれ独自の勢力圏を確立するようになった。ブルゴーニュ公国は仏墺に分割され、墺領ネーデルラントが成立した。東ローマ帝国は滅び、オスマン帝国は小アジアにて地盤を固めている。かつてルーシを脅かしたキプチャク・ハン国は周辺国に分割され消滅したが、他のモンゴル諸侯は健在である。そしてルーシ諸侯は今やモスクワ大公国へと統合された。

モスクワ大公国は、こうして全ルーシ諸侯を支配下に置くことに成功した。しかし、いまだルーシの半数近くは大公国の外に取り残されたままである・・・すなわち、リトアニアの統治下にあるキエフ・ルーシである。またモンゴル諸侯もロシアの地を去ったわけではない。名実ともに全ルーシの王となるため、次はこれらの地を取り戻してゆかねばならない。

(次回へ。なお、ロシア化には必須領土以外に「統治技術力:10」が必要(現在まだ5)なので、たぶんあと何十年かはなれない。次回以降のお楽しみということで。)


>>第2回 1485年~1530年 リトアニア戦争とステップへの拡大
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Tag: EU4 ゲーム

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