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2013

[EU4]モスクワ/ロシアAAR (3)

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前回の続き。リトアニアにぼろ負けしたとこからスタート(--

1520年~1552年 ルーシの再統一とロシア建国

1520年、内戦の勃発
1520年、第2次リトアニア戦争後の大公国は、軍は壊滅状態、国土は荒れ放題であり、さらに敗戦への不満と混乱から内戦が勃発。長い長い時間が復興へと費やされることになる。
(まー、こんだけボロボロにしちゃったら内戦も起きるよねそりゃ。ああロシア化のためにせっかく貯めてた統治パワーが・・・。)

1525年、リヴォニア戦争。劣勢の大公国
1521年にはバルト海沿岸の小国であるリヴォニア騎士団までもが大公国に攻撃を仕掛ける始末に。ただちに迎撃が行われるも、モスクワ軍はリヴォニア・チュートン騎士団の連合軍にも敗北。再び国土が荒らされる。
(舐めやがって!と思ったら、なんてこった。連中のマンパワーなんてたかが知れてるんだぞ!?)

1526年、リヴォニア戦争。好転した戦局
1525年には大公は一時精神を錯乱、降伏も止むなしとの判断に傾くも、傭兵団によるゲリラ作戦とリヴォニア騎士団の各個撃破が成功し、逆にリヴォニアの占領に成功する。
(よく考えたらリヴォニア軍ロシアの奥深くまで出ばらってるし、あいつら数居ないんだからリヴォニア落とせばよくね?→傭兵3千x2でさくっと全土制圧、リヴォニア軍も単独で包囲してたんで殲滅。ふぅ。)

1527年には、チュートン騎士団に保証金として150ダッカを支払うことを条件に、リヴォニア騎士団を正教に改宗の上、大公国の支配下に置くことに成功した。

この戦争により、ただでさえ遅れていたモスクワの復興は大きく遅れたが、ドイツ騎士団の横暴に対する反発により貴族など諸勢力が協調した結果、戦後政治的混乱はひとまず解消に向かうこととなった。
(戦争に必死でいつの間にか溜まっていた統治パワー & 外交パワーを全力投入!安定度上昇 & 戦争疲弊削減で一息つく。)

1532年、スズダリの回収
1530年12月、講和条約により大公国の保護下を離れていたノヴゴロド公国が、デンマークにより征服される。緩衝地帯がなくなったことで、大公国はデンマーク軍の侵攻を警戒する。

1531年3月、カザン・ハン国により併合されていたニジニ・ノヴゴロドが反乱軍の手によりモスクワに復帰。労せずしてこれを回収する。スーズダリは翌年3月に復帰ではなく独立を選択したが、大公国は直ちに軍を派遣、これも回収した。

1533年、内戦の終結
1533年9月、ついに13年にも渡った内戦が終結、大公国は体勢を立て直しつつあった。内戦終結直前の時期には、シベリア開拓の先駆けとなるPelymへの植民が開始されている。

1535年、リャザン・ヤロスラヴリの再征服
1535年から1536年にかけて、リャザンヤロスラヴリの両公国の再征服が行われ、同年中にはモスクワ大公国は
スモレンスク、旧ノヴゴロド地域を除く国土を回復した。

1536年、デンマークの宗教戦争と欧州の宗教分布
同年、デンマークで宗教戦争が勃発、大公国の回復とは裏腹に、西ヨーロッパは不安定になっていた。公国ではこの機に乗じた介入が検討されるも、宿敵リトアニアが5万の軍勢を有する欧州随一の陸軍大国として睨みを利かせており、またモスクワ軍自体もまだまだ本格的な戦争には耐えられないとの見通しから、静観を決め込むこととなる。

1537年、軍の再建が進み、30年ぶりとなるカザン・ハン国遠征が計画される中、大公Boris I Rurikovichが死去。後継者Fyodor Rurikovich (4-1-5) は今だ13歳であったため、摂政による統治が開始された。

1537年、クリミア・ハン国の侵攻
同年11月、大公の交代を好機と見て、クリミア・ハン国が大公国に侵攻する。モスクワ・リヴォニア連合軍3万は、侵攻してきたクリミア軍2万を内陸部で迎撃、ヴェトルガの会戦で打撃を与える。さらにクリミア本土に逆侵攻し、幾度もクリミア軍を追撃するも、決定力を欠いたモスクワ軍は最終的な勝利を得ることが出来ず後退。
1540年、クリミア軍の建て直しによる再侵攻の危険が高まったことから講和を模索、クリミア・ハン国が僅かばかりの賠償金を支払うことを条件に和平が結ばれた。

この戦争では初めて西ヨーロッパから伝来したマスケット銃が実戦に投入されたが、少量にとどまり戦局を変えるには至らなかった。

1539年、クリミア・ハン国との戦いと、独立したフィンランド
戦争の最中、北方ではデンマークの内戦によりフィンランドが独立、同じく正教を国教とする国として、大公国とは友好関係が構築される。フィンランドの独立により、デンマークの脅威はひとまず遠いものとなった。

1540年11月、マスケット銃を装備する銃兵隊、ストレリツィが初めて結成された(陸軍限界+50%)。大公国は軍の再建を進めつつも、以前より遥かに大規模な軍の保持を模索する。

1541年、リトアニアがデンマークに、シビル・ハン国がカザン・ハン国に侵攻。しかしモスクワ軍はいまだ再建の途上にある・・・。1542年、スペインが王統の絶えたポルトガルを継承。両国は大西洋の遥か彼方に目を向けているとのことだが、こちらからは窺い知ることもできない。

1546年、リトアニア-デンマーク戦争の終結
1544年、デンマークとの戦いを続けるリトアニアの同盟国、ポーランドからモスクワ大公国へ同盟の打診が来る。この同盟は、リトアニアを交えず例外ともしないあくまで二国間のものという提案であったが、仮にリトアニアとモスクワが争った場合に、ポーランドが長年の友好国を捨てて味方になるとは到底思われなかった。しかし、当面リトアニア側からの開戦は防げるだろうとの思惑から、モスクワはこの同盟を受け入れることにした。

なお、リトアニア-デンマーク戦争は、当時リトアニア・ポーランド連合軍がバルト海南岸のデンマーク領を制し、次いでユトランド半島を攻略しているところであった。この戦争は、2年後にリトアニア側の勝利で終わり、モスクワの警戒心を高めることになる。

1546、エチオピアという遥か南の国から来たという使節団
1546年、大公は未だ独身で後継者が居らず、配偶者探しが進められていた。そんな平和の中にあった大公国は、この年フィンランドと同盟 & 婚姻を締結、かの国を外交的に併合しようと試みる。

そんな同年9月、配偶者探しの噂を聞きつけ、遥か南の国エチオピアから来たと名乗る黒い肌をした正教徒の一団がモスクワに到着。大公との婚姻を提案するが、公はこれをいぶかしみ拒否する。するとその直後、大公Fyodor Rurikovichは謎の急死を遂げる。直系の血筋が途絶えたことから、大貴族の中からフィンランドが支持するDmitriy VI Wrede (5-4-2) が新大公として即位することとなった。同月、フィンランドは大公国の保護下に入ることに同意した。
(配偶者探しのイベント、いくら正教国は数が少ないとはいえ、未だヨーロッパ人が辿りついていないはずのエチオピアって強引にもほどがあるだろw そしてフィンランドは非常にあっさり属国になってくれたので、そういう事情があったんだろう。)

新大公も即位時は配偶者が居なかったが、こちらは即位直後の11月に北ドイツのミュンスターから公妃を娶っている。
(って、君主変わっても結婚イベント続くの?OKするまで50%の確立で大公が殺され続ける!?なお、王室間の繋がりは外交枠いっぱいなのでしばらくして切った。)

1547年、第3次カザン・ハン国遠征
1548年、新大公によりおよそ40年ぶりとなる第3次カザン・ハン国遠征が開始される。弱体化したカザン軍は僅か一度の会戦で降伏、カザン・ハン国はサラトフサマーラを奪われ、大公国への貢納が義務付けられた。

1549年、これまで限られた部隊にのみ配備されていたマスケット銃が、歩兵の一般的な装備となる。これによりモスクワ軍は質においても大きく改善された。
(ようやく陸軍技術レベル12に到達!リトアニアはまだ10でチャンス!だけどまだマンパワー回復しきってない、、、)

1552年、ロシア建国と当時のユーラシア大陸
1552年、軍を再整備し、かつて以上の国力を得たモスクワ大公国は、ついに内外にその大公こそが全ルーシのツァーリであると宣言、国号を「ロシア」へと改めた。新たな時代の幕開けである。

(予定よりだいぶ紆余曲折があったものの、ロシア化達成。リトアニア・クリミアのCliamいっぱいゲット。これは復讐しろってことだな?)


>>第4回 1552年~1575年 ポーランド-リトアニア戦争とステップへの拡大

>>第1回 1444年~1485年 ルーシ諸侯の統一
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Tag: EU4 ゲーム

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